漢方とはいつごろからどのような歴史を経て今の形になっているのか
漢方として日本で現在の形に確立されるまでの経緯を見ることで
漢方という医学が普遍の理論であることを確認します📜
■古代中国医学の歴史
まず漢方とは何かというところを確認しますと
【古代中国医学が起源の 日本独自の予防医学】
になります。
漢方の前身である古代中国医学を知ることは漢方を知ることなので、さっそく紀元前、約2千年前にさかのぼり「古代中国医学」について確認していきましょう🙌
❑古代中国医学の歴史
中国最古の王朝「殷」の時代の甲骨文字にはすでに疾病に関する記載があり、次の王朝「周」の時代の書物『周礼』には医療制度を食事療法としての「食医」、内科的な治療としての「疾医」、外科的な治療としての「瘍医」、動物の治療としての「獣医」の4つの区分にして記載していました。
伝説の名医「扁鵲」が活躍したとされる春秋時代には人体を構成する液体のバランスが崩れたことにより病気になるという「氣血水」の理論が提唱され、古代中国医学の基盤がつくられました。
この理論が生まれたことから、もともと病が悪魔の仕業と考えられていた「巫の医学」が終わり、人体を科学的に診ていこうとした背景も読み取れます。このような流れを経て「漢」の時代には現代にまで伝わる『黄帝内経』『神農本草経』『傷寒雑病論』の三書が登場し「古代中国医学」の基盤ができました。
「殷」(紀元前15~紀元前11世紀)
➣甲骨文字に疾病に関する記録があった
「周」(紀元前11~紀元前8世紀)
➣『周礼』という書物には医療制度が「食医」「疾医」「瘍医」「獣医」の4つの区分で記載されていた
「春秋戦国」(紀元前770~紀元前221年)
➣伝説の名医「扁鵲」「氣血水」の理論を提唱し、古代中国医学の基盤ができた
「漢」(紀元前206~220年)
➣現代に残る有名な書物『黄帝内経』『神農本草経』『傷寒雑病論』の三書が登場
■『黄帝内経』『神農本草経』『傷寒雑病論』
中国医学の古典である三書の内容を見ていきます
『黄帝内経』
春秋戦国時代からの医学がまとめられた書で『素問』と『霊枢』の二書があり
三皇五帝の一人である「黄帝」が臣下の「岐伯」らと問答する形式で展開されている。内容としては『素問』は生理/病理など中国医学の基礎理論について、『霊枢』は鍼灸治療など臨床的な内容が中心に書かれています。
『神農本草経』
生薬365種(植物薬252種/動物薬67種/鉱物薬46種)を上品、中品、下品の三段階に分類してまとめられた薬物学書。上品は上薬とも呼ばれ生命力を高める「養命薬」という位置づけです。長期で服用しても無毒なところが特徴です。中品は中薬とも呼ばれ心身のバランスを整え健康を保つ「養生薬」という位置づけで使い方によっては毒になることもあります。下品は下薬とも呼ばれ病気になってから用いられる「治療薬」です。
『傷寒雑病論』
3世紀初めごろの張仲景の著作と言われていて『傷寒論』と『金匱要略』の二書があります。生薬の組み合わせによる処方がまとめられた治療の書。『傷寒論』は急性疾患の治療について、『金匱要略』には慢性疾患の治療についてまとめられています。
このように古代中国医学の基盤が学書とともに確立し、日本に伝わっていくことになります。
■日本の歴史
朝鮮半島経由で仏教が伝来した5世紀頃から古代中国医学の流入も始まったと考えられています。そして7世紀の遣隋使派遣という形で正式に中国との交流が始まり、8世紀頃には唐の僧「鑑真」の来日によってさらに日本の医学に影響を与えました。このような背景があり、当時は中国の模倣の医学でしたが遣唐使派遣の廃止後は中国からの直接的な影響を受けることも減り、医学も日本の風土に合わせて発展していきました。
現存する日本最古の医薬学書として984年、丹波康頼によって書かれた『医心方』があります。室町時代に入り、庶民にも医学が普及するようになった頃から陰陽五行説を推す「後世方派」や『傷寒雑病論』を推す「古方派」などそれぞれの理想を主張する思想家が現れ学派が誕生していく流れになります。
江戸時代頃に台頭した「古方派」の吉益東洞は陰陽五行説などの中国医学を否定し『傷寒雑病論』を独自に分析して学説を唱えていました。過激な姿勢で当時は批判もありましたが、息子の吉益南涯が父の学説を修正しつつ「氣血水」理論を提唱するに至ったため、後の世の漢方基礎理論の確立の一助となりました。
明治時代、西洋化の流れが強まる中、西洋医学と相反する思想の漢方を新政府が廃絶し、このころより漢方が衰退していく流れになります。台頭するのは西洋医学でしたが漢方も一部の界隈では生き続けていました。
1970年代には行き過ぎた物質文明により起きた様々な弊害(公害や化学薬品の副作用など)により漢方の関心や需要が高まっていきます。1976年には「漢方エキス剤」が薬価基準に収載され、医療保険に適用されることとなり再び漢方が日の目を浴びることとなりました。
■普遍の理論

細かい部分の修正はあっても今日の漢方の基礎は約2千年前に確立されたものだと思うと漢方の壮大さを実感できますよね…!
実験を重ね淘汰が早い傾向にある西洋医学に比べると古から受け継がれてきた漢方は普遍の理論だと表現できます。一度知れば一生使える養生の知恵が「漢方」です。
薬局に行けば目にする風邪を引いたときに飲みたい代表の漢方「葛根湯」は『傷寒論』『金匱要略』にも記載があります。
日本で誕生した身近な漢方として挙げてみると「龍角散」や「正露丸」などがあります。喉の薬として粉や飴という形で流通している「龍角散」は江戸時代、腹痛の薬としてラッパ印がトレードマークの「正露丸」は明治時代が起源です。長い歴史の中、現在まで変わらずあるのはみんながその効果を認めている証ですよね。
漢方薬は主成分が生薬のため比較的身体にやさしい処方になっています。
一刻を争う病状でなく、身体に余力があって自己免疫と協力して治療できそうな時はぜひ漢方で病を退治するという考え方を取り入れてみてください🌿
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